性欲ロデオ

モンキーマンが送る禁欲の漂流記

オナ猿は、人生の補欠でいるのと同じ

真夜中のモンキーは一人上手

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 オナニーというのは、当然ながら相手がいない。一人で妄想し、一人で興奮し、一人で果てるという寂しくも孤独な真夜中のダンディー、いや真夜中のモンキー。悲しき一人上手、それが僕たちオナニスト

 

 オナニーは、湧き上がる性欲を女性との関係に発展させようとせず、正しい的に“発射”出来ない”弾”を自分で片付ける、“真夜中の不発弾処理”。

 

 それはあたかも自らの帆を張って大海へと船出せず、家のバスタブでおもちゃの船を浮かべて悦に入っているようなものかも知れない。寂しい・・。

 

「船は港にいる限り安全であるが、それは船が造られた本来の目的ではない」

 

 なんていう格言を良く聞くけれど、モンキーマン(オナ猿)の僕には本当に耳が痛い言葉です。

 

オナ禁ブースターに点火せよ!

 

 オナ禁の本当の目的は、性エネルギーを行動力へと昇華して、女性にストレートにアプローチできる自分へと成長するための心理的「ブースター」を得ることだと思う。

 

 満タンの燃料を積んだロケットも、エンジンに火がつかなかったら宇宙なんか永遠に目指せない。

 

 オナ禁するとモテる、と良く聞くけれど、僕は別にモテなくても良いと思っている。それよりも、自分から魅力的だと思う女性に恐れずアプローチをしていける行動力、爆発力を得ることが100倍大事のような気がするから。

 

試合に出ろ!挑戦を受けろ!

 

 結局、オナニーというのは、試合に出ずに、自ら補欠でいることを選んでいるのと同じなのかも。試合に出る自信がない、出てもボロクソにやられるのが怖い、試されて自分の程が知れてしまうのが恐ろしい。惨めに負けるくらいなら、試合に出ないで補欠でいる方がマシ・・。

 

 そんな弱気でいる以上、結局人生のどんな場面においても主体的になることなんて出来るわけがなく、どこか及び腰でいる自分に甘んじ続けるしかないわけで・・。

 

それを行動に移さにゃいかん。挑戦を受けろ。変わるんだ。

               カルロス・カスタネダ著 -イクストランへの道-

 

 本気で生きる覚悟をするならば、それはオナ禁と同時なのかも。難しいチャレンジだけど、人生が自分に課す挑戦から逃げてちゃ、やっぱり何も変わらないですよねー。

 

 僕は変わりたい。一生懸命生きてみたい。逃げずに誰かと向き合って、愛し尊敬しあいたい。オナ禁で目指すものは人それぞれだろうけど、オナ禁を通して何かを掴みたいという気持ちは同じなのかな、と思います。全国のモンキーマン(オナ猿)たちよ!立ち上がろう!

オナニーとは小さな自殺

「セックスとは小さな死である」

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というバタイユの言葉を真似ると、「オナニーとは小さな自殺である」と言えるかも。

 

最近思う。結局マスターベーションを止めない限りは、本当の人生を生きることは出来ないのではないか?って。

 

オナ猿でいるということは、常に性的ファンタジーの中を漂流し続けるということだ。自分に都合の良い空想に逃げ込んで耽溺しているうちは、決して現実(女性)と向き合うことはないのだと思う。

 

脱オナニー=少年から男へのメタモルフォーゼ

 

本当に女性に魅力を感じ、愛し尊敬出来る男がオナニーなんかしてるだろうか?オナニーするくらいなら、かっこなんか付けずにどんどん出会いを求めて、ムラムラをちゃんと行動に昇華させているのでは?

 

通りすがる女の尻を見ては、ニヤけた顔で口笛を吹き、バーやクラブで見かけた好みの女には躊躇せず声をかける。そこに幼稚な照れや恥ずかしさはない。女の目をしっかりと見て、魅力を感じているとストレートに伝える。安っぽくも素直で大胆で陽気な男。こんな風になりたい・・・。

 

オナニー=自傷行為

 

オナニーという、独りよがりの自己完結グセから自分を解放しない限り、僕は日々自分を損ない、嘲笑し、小さく自殺し続けるだろう。僕は思う。オナニーってある意味、自傷行為かも。

 

Wanker=オナニー野郎

 

英語に、“Wanker (ワンカー)"という表現がある。Wank=マスターベーションをするという意味で、Wanker=オナニー野郎といったところ。そこには真正面から女に向き合えない男への侮蔑の意味がある。悲しいけど、今のワイはまさにワンカーや!

 

映画「リプリー」のトラウマシーン

 

マット・デイモン主演の映画「リプリー」のワンシーンでは、フィリップ・シーモア・ホフマン(2014年、自宅でヘロインのオーバードウスにより死去)演じるプレイボーイが街ゆく女たちを見て「この街の女、全部とヤリたいぜ」と、本気とも冗談ともつかないような下種なセリフをニヤけ顔で吐く。

 

僕はこのシーンで本心を隠さない男の凄味、むきだしの欲望が持つ強さみたいなものを感じ(演技上手すぎ)、こういう男は僕の幼稚さやウソ臭さをすぐに見抜くんだろうな、なんて想像して一人で勝手に落ち込んだ。今も自分の男としての未成熟さに絶望するたび、このシーンを思い出し悶絶しています。