オナニーとは小さな自殺
「セックスとは小さな死である」
というバタイユの言葉を真似ると、「オナニーとは小さな自殺である」と言えるかも。
最近思う。結局マスターベーションを止めない限りは、本当の人生を生きることは出来ないのではないか?って。
オナ猿でいるということは、常に性的ファンタジーの中を漂流し続けるということだ。自分に都合の良い空想に逃げ込んで耽溺しているうちは、決して現実(女性)と向き合うことはないのだと思う。
脱オナニー=少年から男へのメタモルフォーゼ
本当に女性に魅力を感じ、愛し尊敬出来る男がオナニーなんかしてるだろうか?オナニーするくらいなら、かっこなんか付けずにどんどん出会いを求めて、ムラムラをちゃんと行動に昇華させているのでは?
通りすがる女の尻を見ては、ニヤけた顔で口笛を吹き、バーやクラブで見かけた好みの女には躊躇せず声をかける。そこに幼稚な照れや恥ずかしさはない。女の目をしっかりと見て、魅力を感じているとストレートに伝える。安っぽくも素直で大胆で陽気な男。こんな風になりたい・・・。
オナニー=自傷行為
オナニーという、独りよがりの自己完結グセから自分を解放しない限り、僕は日々自分を損ない、嘲笑し、小さく自殺し続けるだろう。僕は思う。オナニーってある意味、自傷行為かも。
Wanker=オナニー野郎
英語に、“Wanker (ワンカー)"という表現がある。Wank=マスターベーションをするという意味で、Wanker=オナニー野郎といったところ。そこには真正面から女に向き合えない男への侮蔑の意味がある。悲しいけど、今のワイはまさにワンカーや!
映画「リプリー」のトラウマシーン
マット・デイモン主演の映画「リプリー」のワンシーンでは、フィリップ・シーモア・ホフマン(2014年、自宅でヘロインのオーバードウスにより死去)演じるプレイボーイが街ゆく女たちを見て「この街の女、全部とヤリたいぜ」と、本気とも冗談ともつかないような下種なセリフをニヤけ顔で吐く。
僕はこのシーンで本心を隠さない男の凄味、むきだしの欲望が持つ強さみたいなものを感じ(演技上手すぎ)、こういう男は僕の幼稚さやウソ臭さをすぐに見抜くんだろうな、なんて想像して一人で勝手に落ち込んだ。今も自分の男としての未成熟さに絶望するたび、このシーンを思い出し悶絶しています。